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広島地方裁判所福山支部 昭和62年(わ)66号 判決 1987年5月28日

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人から金六万円を追徴する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、福山市営競馬場上原斉きゆう舎所属の騎手であるが、

第一  昭和六一年一二月一五日、勝馬投票をしようとしていた小畠勝由に対し、自己が騎乗して出走する予定になつていた同日施行の福山市営競馬昭和六一年度第一二回第三日目第六レースの競走に関し、自己の騎乗予定馬ラッキーウイナーの体調及び右競走の勝敗についての自己の予想に関する情報を電話で提供し、同月一五日ころ広島県福山市住吉町から同市松浜町に向け走行中の車両内において、同人から右情報提供の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金三万円の供与を受け、もつて、その競走に関して賄ろを収受し

第二  昭和六二年一月一二日、勝馬投票をしようとしていた小畠勝由に対し、自己が騎乗して出走する予定になつていた同日施行の福山市営競馬昭和六一年度第一三回第六日目第四レース、第九レースの競走に関し、自己の騎乗予定馬サリュウエース、ユウコウオンブルの体調及び右競走の勝敗についての自己の予想に関する情報を電話で提供し、同月一三日ころ広島県福山市南町から同市松浜町に向け走行中の車両内において、同人から右情報提供の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金三万円の供与を受け、もつて、その競走に関して賄ろを収受し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人の本件各行為は、競馬法三二条の二前段の構成要件に該当せず、また仮りにこれに該当するとしても、可罰的違法性を欠くものであるから、いずれにしても無罪である旨主張するので、以下、これらの点について判断する。

第一構成要件該当性について

一弁護人の主張

1 競馬法三二条の二前段の規定は、昭和三七年法律第八三号により競走の公正を確保する目的で新設されたものであつて、刑法一九七条が公務員等の職務の公正を担保する目的で「その職務に関し」と規定しているのとは異なり、「その競走に関して」と規定しているのであるから、右「その競走に関して」とは、競走という事実行為を意味し、騎手についていえば「当該騎手が騎乗して出走する特定の具体的競走に関して」という趣旨に解されるべきである。

2 ところで、右規定の立法目的は、前述のとおり、競馬競走の公正の確保にあるが、より具体的には、いわゆる八百長レースに代表される競走そのものの不正行為を防止することにあり、従つて、右「その競走に関して」というのも調教師、騎手あるいは馬丁につき、それぞれ、その競走に対する関与の仕方(職務)により、各人の所為が当該競走につき不正を惹起すべきものであるか否か、という点から、更に限定を加えられるべきものである。このような観点からすれば、騎手が具体的な競走に関して、競走の結果を予測し、あるいは自己の騎乗する競走馬の体調に関する情報等を提供し、その対価として金品を授受した場合であつても、競走それ自体は、具体的不正工作がなされない限り、このような行為とは無関係に行われるのであるから、通常、右情報提供行為が競走それ自体の公正を害することがないのはもちろん、競馬に対する社会の信頼を害するものともいえず、従つて、右「競走に関して」とは、騎手については、騎乗してレースで疾走する活動そのもののみを指し、右の如き単なる情報の提供は、これに含まれないものと解されるべきである。

3 仮りに具体的レースに関する特定の馬の体調なり着順予想に関する情報提供が競馬法三二条の二前段に該当しうるとしても、同法の立法趣旨及び通常レースは右の情報提供とは無関係に行なわれることからすれば、具体的事案において、情報を提供するに至つた経緯、情報提供の方法、態様、提供された情報の内容、勝敗の結果、授受された金員の趣旨等に照らし、社会通念上、当該競走の結果に多大の疑惑を生じさせ、その公正に対する社会の信頼を害する程度に達して、はじめて、情報提供等に関しての賄賂罪が成立するものと解すべきである。

ところで、被告人の本件各行為は

(1) 被告人と小畠勝由とは、昭和六一年一二月一五日以前の二ヶ月前に知り合つたにすぎず、同日までに一回だけ一緒にゴルフをしたことがあるにすぎない。

(2) 被告人が小畠勝由に情報を提供したのは二回にすぎず、それ以前の情報提供は皆無である。

(3) 情報を提供したのは、暴力団員である小畠勝由から求められたため、渋々これに応じたものであり、積極的なものではなかつた。

(4) 情報の内容は、単に自己の騎乗予定馬の体調の良・不良に止まり、対抗馬等まで指示したものではなく、また、情報の提供に際して何ら確信的言動はしていなかつた。

(5) 被告人の情報に従い小畠勝由が投票券を購入する意欲を生じたとか、また、同人が必ずしも被告人の情報に忠実に投票券を購入したものでもない。その結果小畠勝由が必ずしも利益を上げていない。現に、小畠勝由は、昭和六一年一二月一五日のレースについては、「あまりようなかつた。」と述べている。

(6) 供与された金員は、小畠勝由の儲けいかんにかかわらず交付されたものであり(直接の情報提供行為のない吉村にまで同額の金員が交付されている)、結果に対する謝礼とか、共同的意味合いは極めて稀薄である。

(7) 供与された金員は一回につき三万円の二回分合計六万円であり、これは、一夜の飲食代の金額として、決して多額であるとはいえない。

以上の諸点で特色があり、被告人の本件各行為は、いずれも、社会通念上、当該競走の結果に多大の疑惑を生じさせたものともいえず、また、その公正に対する社会の信頼を害する程度に達していたともいえない。

4 よつて、いずれにしても被告人の本件各行為は、いずれも構成要件該当性を欠くものというべきである。

二当裁判所の判断

1 競馬法三二条の二前段に規定する「その競走」とは、競馬法においては「競馬」と「競走」の概念を使い分けているところ、同規定では同法において狭義の意味で用いている「競走」という文言を使用し、かつ、右「競走」概念は事実行為をその内容としていること、及び、同法三二条の二は、職務本来の公益性の故にその公正を担保すべき刑法の賄賂罪とは異なり、射幸的行為の対象である競走が公正に行なわれることを担保するために設けられた規定であることを考慮すれば、弁護人の主張する如く、これを行為主体とされている者の関与する特定の具体的な競走をいうものと解されるべきである。

2 次に、同法三二条の二前段に規定する行為主体が個別具体的競走に関して騎乗予定馬の体調ないしはその着順予想等の情報を提供することが同条前段の「その競走に関して」に該当するか否かを判断する。

ところで、競馬法三二条の二前段は、競馬の健全な発展を図ることによつて国民に対して健全な娯楽を供与し、かつ、馬の改良増殖その他畜産の振興に資するとともに、公共の福祉のために使用されるべき基金を捻出し、ひいては国家、地方財政に寄与することをその目的とする競馬法の趣旨を貫徹する必要性から立法化されたものと解される。すなわち、勝馬投票制度は射幸的行為に依拠し、払戻金という金銭上の利益に直結するものであるが故に、経験則上、ともすれば不正行為が介在しやすいうえ、特に勝馬投票券を購入した者にとつてことのほか競走の公正さに鋭敏であるが故に、競走の公正のみならず、その公正に対する社会の信頼の確保が強く要請される必要が存するところ、同法三二条の二前段の行為主体は、いずれも、その関与する競走に対する影響力が大きく、特に騎手は競走馬の体調を十分に知悉し、また、自己の騎乗する競走においてはその結果をも左右することもできる立場にあるのであるから、行為主体によつて競走の公正が現実に害されたときのみならず、その公正に対する社会の信頼が害されてたときには、その行為主体に対し、刑罰を科することとしてこれを厳しく制止し競走の公正をあくまでも担保することによつて競馬法の本来の目的を達成しようとしたものと解されるのである。従つて、勝馬投票制度を採用する競馬法のもとにおいては、競走に関する公正らしさ、すなわち、その公正に対する社会の信頼が害されたときにも、たとえ競走それ自体は公正に行なわれたとしても、それとは無関係に、処罰の対象となるものと解されるのであつて、右にみた勝馬投票制度の特殊性及び同法三二条の二前段の行為主体の立場、とりわけ、騎手においては、競走の結果をも左右することもできる立場にあることを考慮すれば、自己が騎乗する予定の競走馬の体調ないしは当該競走の勝敗結果の予想などの情報を、勝馬投票券を購入しようとする不特定多数の者に対して公平、平等にその情報を提供することを目的とする報道機関に、報道目的でこれを提供するのは格別、特定の勝馬投票をしようとする者に対してこれを提供し、その対価として利益の供与を得たときには、社会通念上、その競走の結果に多大の疑惑を生じさせ、その公正に対する社会の信頼を害するに至つていることは明らかであるから、かかるときには、競馬法三二条の二前段の構成要件に該当するものというべきである。

このように考察をすすめれば、弁護人の主張する如く、競馬法三二条の二前段の「その競走に関して」を、不正競走行為のみを前提とし、騎手においては騎乗して疾走するレースそのものを指すものと限定的に解するのは相当ではなく、また、情報を提供するに至つた経緯、情報提供の方法、態様、提供された情報の内容、勝敗の結果などの事実は、情状として考慮されることはあつても、競馬法三二条の二前段の犯罪の成否には直接の影響はないものというべきである。

3 被告人の本件各行為は、それぞれ被告人が騎乗する予定の競走馬の体調及びその競走の勝敗についての自己の予想に関する情報を、勝馬投票をしようとしていた小畠勝由に提供し、その対価として利益の供与を得たものであることは前記罪となるべき事実で認定のとおりであるから、競馬法三二条の二前段の構成要件に該当することは明白である。

第二可罰的違法性の有無について

一弁護人の主張

被告人の本件各行為は

1 被告人が小畠勝由に提供した情報は、単に自己の騎乗予定馬の体調の良・不良に関するだけのものであり、その内容は単純であり、しかも、その内容は、予想紙に掲載された内容と同一であり、いわば競馬ファンであれば、殆どの人が知りうべき程度のものであつた。

2 被告人の提供行為の態様は消極的であり、情報提供の際の態度も確信的なものでも断定的なものでもなかつた。

3 事前に対価の約束もなく、勿論、積極的に小畠勝由に利益を得させる意図もなく、また、謝礼等を期待していたものではなかつた。

4 被告人と小畠勝由との間には癒着的間柄はなかつた。

5 被告人が小畠勝由に情報を提供したのは、僅か二回にすぎず、それ以外の直接の提供行為はなかつた。

6 被告人には、情報提供につき、終始ためらいがあつた。

7 被告人の提供した情報に従つて小畠勝由が投票券を購入する意欲を生じたとか、情報に忠実に投票券を購入したといつた事実はなく、その結果、小畠勝由は必ずしも利益を得ていない。

8 供与された金員は、一回三万円であり、現実的にみて、一晩の飲食代として、決して多額とはいえない程度のものであり、情報未提供者に対してまで交付されていることからしても、謝礼としての意味は必ずしも明確ではない。

以上の点からすれば、被告人に対して、道義的あるいは行政上の責任を負わされるのは格別、被告人の本件各行為は、可罰的違法性を欠くものというべきである。

二当裁判所の判断

前掲各証拠を総合すると、被告人は本件各情報を提供した相手方の小畠勝由が暴力団三代目浅野組分家千田組の本部長という地位にあることを知りながら、昭和六一年九月中旬ころ、騎手でゴルフ仲間の藤尾育央の紹介により、福山市住吉町所在の割烹「三喜」で右小畠及び藤尾と飲食を共にした際、小畠勝由から騎乗予定馬の体調及びその勝敗についての自己の予想に関する情報の提供を依頼されたことから、一旦はこれに応じることに躊躇を覚えたものの、藤尾育央のたび重なる勧めに応じ、小畠勝由に対しその情報を提供するようになつたこと、判示第一の犯罪行為をみると、提供された情報の内容は、被告人がラッキーウイナーの攻め馬をしたときの経験から、同馬の体調が良くないこと及び自己が騎乗する予定の同馬をはずして勝馬投票券を買い求める方が良い、という内容のものであつて、しかも、右情報提供に対する報酬として小畠勝由から割烹「三喜」及びスナック「ラベール」において飲食の持て成しを受けたうえ現金三万円をも収受したものであること、判示第二の犯罪行為をみると、提供された情報の内容は、被告人が攻め馬をしたときの経験からユウコウオンブルは調子が良いこと、また、騎乗予定の騎手として調教の様子を観察していた経験からサリュウエースは体調が良いこと、従つて、右二頭の勝馬投票券を購入すれば良い、というものであつて、しかも、右情報提供に対する報酬として料理店「玉名」及びスナック「ラベール」において小畠勝由から飲食の持て成しを受けたうえ現金三万円をも収受したものであることが認められ、被告人は自らすすんで賄賂を要求し、積極的に情報を提供したものではなく、むしろ、金員の授受についても受動的であり、情報提供行為も消極的であつたことは認められるものの、右認定事実によれば、被告人が情報提供をした相手は暴力団幹部であることから、本件捜査が開始されていなければ、継続して本件と同様の犯罪行為が行なわれているであろうことが推認されるうえ、競馬が射幸心をもあおるものであつて、不正行為が行なわれる土壌をもつていることを考慮すると、競走の公正を担保するという見地からは、最も排除されるべき人物への情報提供行為であつたこと、また提供した情報の内容も、競馬情報紙面から読みとれる内容の情報はいうに及ばず、競馬情報紙面の予想を確実なものとする着順予想に関する情報であつただけでなく、被告人の騎手という立場において特に入手した騎乗予定馬の体調及び騎手として培かつてきた自己の経験を生かし、より正確な着順予想に関する情報であつたこと並びに供与された金額、供与された趣旨、及び金員のみならず飲食の持て成しをも受けていること等を考慮すると、供与された金員の賄賂性はきわめて強いものであつたことが認められ、右の如き事実関係に照らせば、被告人の本件各行為は可罰的違法性を認めるに十分である。

従つて、弁護人の右各主張はいずれも採用しない。

(法令の適用)

適条 判示第一及び第二の各事実につき、いずれも競馬法三二条の二前段

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情を考慮して重い判示第二の罪の刑に法定加重)

刑の執行猶予 刑法二五条一項

追徴 競馬法三二条の三後段

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官坂井良和)

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